「は?いじめは悪意でしかねーだろふざけんなよクズ」
そう言いながら僕を全力でボコボコにぶっ叩いてやるためにこの記事をクリックしたあなたの顔が目に浮かぶようだ。ありありと浮かぶ。ともすれば鬼の首を取ったかのように「こいつ悪人ですーー!!」とSNSに晒しあげて嬉々と喜ぶお前の姿が目に浮かぶ。
最近のSNSはそんなのばっかで本当に嫌になる。少年革命家ゆたぼんかなんか知らんけど、ちょっと癇に障ったぐらいでどこの誰かも知らない奴が赤の他人の子供を全力でぶっ叩いてる姿。炎上させてる奴ら、それをやってる時の自分の顔マジで鏡で見て欲しい。どっちが悪人だよ。最近のSNSは本当に倫理観がかけている。
もちろんね、炎上させている側はそれを正義としてやっているんだろう。でもな、それマジでいじめと構図全く一緒だから。
さて、あなたはいじめってどう思いますか?無くすべきですよね。
いじめをする奴はクソです。いじめをする奴は全員死んでしまえばいい。僕もそう思ってました。ただなんと言いますか、この漫画を読んで少しその価値観は変わってしまいました。
いじめは善意である
「ここは今から倫理です。」
めちゃめちゃ深くてめちゃめちゃ考えさせられる漫画で、印象的なシーンがいっぱいあるんだけれど、今日は記事の文字数の関係と僕のやる気の問題から「いじめ」を取り上げた印象的な話のみを抜粋して語りたい。
引用元:ここは今から倫理です。
上記のシーンは、「いじめっこは断罪すべき」と思い、それを実現するために学校の先生を目指す生徒が先生に、なぜいじめっ子を断罪しないのか?と詰め寄ったシーン。
問い詰められた先生は喫煙者で、喫煙可の職員室でタバコを吸っていたら、他の職員に部屋を追い出された。そこで先生は彼に問いかける「私は不当に部屋を追い出されたいじめられっこですか?それとも他の人に副流煙を浴びせたいじめっ子ですか?」と。
確かにいじめってこれだなーと僕はすごい思いました。なんだろう。いじめをしてる側もされている側も、どっちも自分の正義の元に動いているだけで、どっちが正義も悪もないんだろうなと。
引用元:ここは今から倫理です。
例えば、クラスのキモい奴をいじめるいじめっ子がいたとする。じゃあいじめっこは悪か?と問われると、これを読んだ後だと、悪とは言えないかも知れないなと僕は思ったんすよね。
だって、いじめっ子はきっと、キモいやつにキモい行動をとらせないようにすることが正義と考えていて、あくまでクラスの足並みを揃えるための善意かもしれない。だってそれって、「ちょっと男子ー掃除してよー!」っていう女子と同じことだから。男子にも掃除をさせることが正義であり、クラスの足並みを揃えるための善意でしかない。じゃあ「ちょっと男子ー掃除してよー!」女子はいじめっ子か?と問われると、違うよな。
となると、いじめっ子があくまで主観的ではあっても、キモい奴を排除しようとする動きは、その人にとってはクラス全体への善意での行動だ。そう考えると、いじめっ子も善人という先生の主張はすごく仰る通りだなーと思う。
人間はみな等しく善人
と考えていくと、冒頭で書いたゆたぼんもそれを叩く多くの人も「学校は行く意味がない」という主張は善意で、「ふざけるな!学校行かないと教養が身につかない」という主張も完全な善意のもとに成り立ってるんだろうなと。
つまり、人と人が争うのは、どういう形にせよ善意と善意のぶつかり合い。善意を遂行するために、相手に嫌な気持ちにさせようと悪意を持つのだろうなと。
引用元:ここは今から倫理です。
すごく考えさせられる漫画
引用元:ここは今から倫理です。
もうね。仰る通りだなと。
このシーンは男友達に無理やり襲われて、汚れてしまったと嘆き、自殺しようとする生徒を救うシーン。女友達は、「そんなの命に比べたらちっちゃいことじゃない」と言う。
でも先生は、「些細なことでも命に関わるほど思い絶望になる」と教える。
確かに、仕事がいやで電車に飛び込んでしまう人を見て、「そんなに嫌なら死ぬ前にやめろ」って簡単に言う人がいるけど、そーゆーことじゃないよなと。どんな些細なことでも、命に関わるほどの絶望になる場合は十分にあるよなと。
そーゆー大切な倫理観をすっごく考えさせられる漫画でした。すっごくいい。
この漫画を道徳の教科書にしてほしい。
今日はそんなことを思いながら漫画を読みました。
本日は以上。それでは。