世の中にはハッピーとアンハッピーなことがあるわけじゃないですか。嬉しい!と思うことと、ムカつくと思うことがある。そんでどちらが多いのかと考えたときに、多分多くの人はムカつくことの方が多いのが現代なんじゃないだろうか。
例えば僕が社会人時代の1日で考えると、まず朝起きないといけないことがムカつく、電車が混んでいてムカつく。会社に着く前の道のりで腹が痛くなってムカつく、そんで会社でつまらない仕事にムカつく。ちょっとうまく言って嬉しい。だけどその嬉しさも退屈な時間が続くうちにムカついてくる。帰ってユーチューブをみてちょっと楽しい。だけど風呂に入らないといけないというめんどくささにムカついて、夜更かしすると明日起きれないという事実にムカつく。
嬉しい・楽しいの総量と、ムカつくの総量を考えたときに、ムカつくの方が多い。それが多くの人の日常だと思う。
世の中は美しくない
今日は浅野いにおの短編集、「世界の終わりと夜明け前」を読んだ。
タイトルヤベーな。なんだろう。僕はこのタイトル強烈に惹かれてしまう。心のどこかで世界の終わりへの憧れでもあるのだろうか。
浅野いにおといえば、今の20代〜30代前半ぐらいの世代に大きな影響を与えた人だ。もっといえば、悪影響を与えた人といってもいい。「世界には夢も希望もない。だけどそんな中で僕らは楽しさを見つけていかないといけない。」彼はそんなことを伝えた。
世の中には色々な漫画があるけれど、ジャンプ漫画では、「友情・努力・勝利」が三原則となっているらしい。それ以外の漫画で言っても、ほとんどの漫画は愛や希望や夢を描いてくる。
例えばワンピースでは、ルフィが夢に向かって一心不乱に向かっていく。悟空は純粋に強いやつを求めて努力して、戦って、勝利を掴む。漫画とはそういうものだった。
日常漫画なんてものもあるけれど、例えば日常漫画の代表としてあげられる「けいおん」なんかでは、可愛い女子高生が可愛らしい日常を送っているのが描かれている。
漫画とはそう言った、上部の美しさや面白さを描くものだった。
ところが、浅野いにおの描く漫画は、全く違った。上部ではなく、人が本来思っているような表には出さない部分を描いていたのだ。
浅野いにおはなぜ売れたのか
今更説明の必要がないくらい、世の中は終わってるじゃないか
自分にだってそんな時期があったはずなのに、今じゃもう、私はこの商店街の風景の一部なんだろうな
いつの間にか大きくなった子供達は私に言わせりゃ宇宙人だ
(世界の終わりと夜明け前より引用)
普通の人というのは、どんな目標があって、自分にそれが達成可能か、自分の才能と向き合って悩み苦悩するものだ。
例えばワンピースのルフィは、ひとつなぎの財宝を求めて一心不乱に進むけれど、普通の人なら、地元の村を出る前に、「本当に自分に海賊の才能があるのだろうか」「もし失敗したら死んでしまう。それだけの覚悟があるのか。」「もう俺もそろそろ二十歳。海賊なんて夢見てる場合じゃないのではないか」
そう思い悩むものだ。ナミの風呂をみんなで覗くシーンがあるけれど、本当に覗くのであれば、こっそり、絶対にバレないところから陰湿に覗くのだ。
ところが、物語をいくら進めてもそんな描写は出てこない。
悟空は何も疑うことなく、すぐに強敵に挑むけれども、普通の人であれば、
「今回ばかりは本当に死ぬかもしれない」「本当にフリーザと戦う意味があるのだろうか」「自分が戦わなくても、誰か戦ってくれるんじゃないか」
そう考えるのが普通だ。
ところが、物語をいくら進めてもそんな描写は出てこない。
上記のような物語は、本当の意味で、主人公に感情移入するなんて、どう考えても無理なのだ。だって俺は普通の人だもの。
そんなときに出てきたのが浅野いにおだ。
劇的なことがなくても、人にはそれぞれ物語がある
例えば合コンがあれば、その場では「〇〇ちゃん可愛いー!」「映画好きー?」なんて会話が適当に盛り上がるけれど、その心の内では、(何このメンツ)(帰ってゲームしたい)(来なきゃよかったー)
そんな思惑があって普通だ。
例えば恋愛では、「信じてる」という拘束具で、お互いがお互いの自由を奪い合って、抑えつけ合う。なぜなら、根本的に人を信用していないからだ。
恋愛漫画では、美しく素晴らしい恋愛がやたらと描かれるけれど、その裏には、お互いがお互いを疑い、信じているフリをし合うのが人間というものだ。
世界の終わりと夜明け前の「休日の過ごし方」という話。
昔の元カレから演劇のDMが届いた。今更行くのもどうなんだろうと思いながら、外にゴミを出しに行く。少し時間より早く出してしまったのを大家に見つかり焦る。
商店街を歩いて、たこ焼きをひとつ買う。サービスで一つ追加でもらった。せっかくだから、元カレの演劇にたこ焼きを持って行こうとして電車に乗る。
物語はこれで終わりだ。約140文字。ツイッターに投稿できる文字数。
喧嘩もないし、心の揺れ動きもない。本当の意味でのただの日常だ。
でも、普通の人にとってみれば、元カレに会いに行くというのは、それだけでもすごい出来事になり得るのだ。
グランドラインなんて超えないしフリーザと争うこともない。浅野いにおが描いているのは、そういった「普通の人にとって物語」なのだ。すごいことは起こらないし、描かれているのは本当の意味での日常だけだ。だけど、僕はそういう漫画はとても好きだなーと思いました。